「セロテープ」といえばニチバンの登録商標、そう思っている人は多いはずです。
ところがこの1960年(昭和35年)の広告には、はっきりと
「セロテープは日祥の登録商標です」と書かれています。
製造元は日祥薬品工業株式会社です。現在ではほとんど知られていない社名ですが、広告の説明では「わが国で初めて製造に成功したセロハンテープ」とされています。
セロハンテープの国産化は1948年前後、複数のメーカーが競って参入した分野でした。ニチバンが「セロテープ」として製品を発売したのも1948年で、日祥もほぼ同時期に市場に登場しています。どの会社が「最初」だったのかは当時から各社の主張が食い違っており、この広告が「登録商標」という言葉を強調しているのも、その競争の名残と考えられます。
三九万キロという数字
広告では、生産量の伸びが強くアピールされています。1954年から1959年までのわずか五年間で、生産は約十倍に拡大したとされています。
1959年の年間生産量は、三九万キロメートルと記され、「地球から月までの距離と同じ」と説明されています。地球と月の平均距離は約38万4千kmですから、この数字はほぼ一致しています。高度成長期の工業生産の拡大を、日常感覚で理解できる大きさに置き換えた表現です。
価格は10円〜250円とあります。サイズの違いによる価格幅ですが、1960年の物価水準では10円は子どもの小遣いでも手が届く金額でした。セロハンテープがすでに学校や家庭で使われる日用品になっていたことが分かります。
坊やと競争
広告の右側には腕を曲げてポーズを取る少年が立ち、「坊やと競争」という見出しが置かれています。本文では、子どもの身長を壁にセロテープで印を付けて記録してみよう、という提案が書かれています。家庭の中に製品の使い道を作るための発想です。
広告の端には、テレビ番組「矢車剣之助」(日本テレビ、金曜6時15分〜6時45分)の案内も添えられています。日祥がこの番組のスポンサーだったことが分かります。1960年前後、子ども向け時代劇は夕方の時間帯に多く編成されていました。テレビで子どもの関心を引き、家庭で製品名を広げるという広告の狙いがみえます。
その後、「セロテープ」という名称はニチバンのブランドとして定着し、日祥薬品工業の名前は市場から姿を消していきます。誰もが知っている透明テープの名前にも、かつては企業同士の競争がありました。この広告は、その最中にあったメーカーの姿をそのまま伝えています。

