青空の下、広い畑を赤い播種機を付けたトラクタが進んでいます。
周囲では農家の人々がその様子を見守っています。
1964年、久保田鉄工(現クボタ)が提案した農業機械化の姿を伝える広告です。
中央には「田植えをしない米づくり」という大胆な言葉が掲げられています。
日本の稲作の常識を変えようとする、新しい農法の提案でした。
労働力不足と農業の機械化
1960年代、日本の農村では大きな変化が起きていました。高度経済成長により若い労働力が都市へ流出し、農家では人手不足が深刻になります。そのため、農作業の機械化によって作業時間を減らすことが急務となりました。特に春の田植え作業は、稲作の中でも最も労力を要する工程でした。
この広告が提案しているのは、その田植え作業を省く「直播(ちょくはん)栽培」です。苗を植えるのではなく、種を直接まくことで工程そのものを簡略化する農法でした。
5つの作業を一度に行う施肥播種機
広告に登場するのは、クボタ農用トラクタ L15R と施肥播種機です。
この機械では
耕起、砕土、施肥、播種、覆土
という五つの工程を一度に行うことができます。
従来は別々に行っていた作業をまとめることで、10アールの作業を約30分で終える効率がうたわれています。当時の農業にとって、これは大きな省力化でした。
小型トラクタが変えた日本の農業
L15Rは17馬力クラスのトラクタで、日本の水田環境に適したサイズでした。クボタは12馬力から27馬力までの小型トラクタを展開し、各地の農家へ普及させていきます。広告には岐阜県の農家で行われた実証テストの様子も紹介されており、実際の農業現場での効果を示すことで機械化の可能性を伝えていました。
「耐える農業」から「効率の農業」へ
「少ない労力で大きくもうける」という言葉は、当時の農業観の変化を象徴しています。農業は長く重労働と結びついていました。しかし高度成長期には、機械と技術によって生産性を高める産業としての側面が強調されていきます。
描かれた赤いトラクタは、日本の稲作が近代化へと進んでいく過程を象徴する存在でもありました。機械化によって農村の風景が少しずつ変わり始めていた、1960年代の空気がよく伝わってくる一枚です。

